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「おもしろい大人との出会いが、自分の世界を広げる−中島智弘さん②−」

前回の記事はこちらから

http://dream-possibility.hatenablog.com/entry/2013/03/19/163011

 

―となると、なかなか忙しい高校生活だったんですね。高校時代は、どんな毎日を送られていたのですか?

週3回学校に通って、学校のない日はアルバイト、学校のある日も授業後にアルバイトをしていたので、週に5〜6回はしていました。残りの時間は練習と、週末はレースの生活でした。

アルバイトは、高校生男子ができる仕事はやり尽くしたと思います。笑 

工場、ファーストフード、遊園地の売店、スーパー、ファミレスの洗い場、ガソリンスタンド・・・1年を超えて続けたものもいくつかありました。

 

—学校での生活は、どのようなものでしたか?

単位制なので、自分で取りたい授業を選びます。必修もありました。レポー卜を提出期限までに提出して単位を取りました。

中学時代から変わったことといえば、学校の勉強が楽しくなりました。先生は、ただ教科書の中のことを話すのではなく、自分自身の経験などを交えながら授業をしてくれました。それが面白くて、勉強が好きになりました。この時期から、勉強の面白みのようなものが少しずつ分かってきました。これが、後に大学進学をするきっかけにもなったと思います。

あと、先生たちが自分と対等に接してくれたことは、自分が学校生活を続ける上で、とても大きかったと思います。授業でも同じ目線で、対等に話をしてくれました。

 

学校での友人は、同年代もいたけれど、20代後半の友人もいて、大学進学を目指して来ている人や、働きながら高校卒業資格を取るために通っている人もいて、色んな人に出会いました。

休み時間や、バイトのない日の学校帰りに一緒に遊んだりもしていました。

 

—先ほど、大学進学をしたと仰っていましたが、どのような経緯があったのですか?

進路について考え始めた頃、3つの選択肢を考えていました。バイトをしながらカートを続けるか、モータースポーツ関連の専門学校へ行きながらカートに乗り続けるか、他の選択肢を選ぶかの3択です。

ただ、レースの結果が残せなかったら、一度カートは中断しようと思っていました。また、高校で勉強をする楽しさを知り、心理学を学びたいという気持ちも出てきていました(カートはメンタルスポーツであり、心理学を学ぶことで、いずれはカートに活かしたいと思っていたため)。それに加え、自分の違う可能性も見てみたいという欲も出て来ていたところでした。

 その年の締めくくりとなる全国大会で、自分が思い描いた結果を残せなかったことが決め手となり、大学進学を決意しました。

 

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—高校時代を振り返って、通信制高校に通ったからこそ得ることができたのは何ですか?

ひとつは、先にも言ったように、高校の先生達との出会いから、勉強が好きになり、勉強をする面白みが分かったことです。

また、レーシングカートへの時間を存分に取れたことも自分にとってはいい経験となりました。周りに年上の方も多くいて、いろんな人と接する機会がありました。同年代としか接していなければ、得られなかったことがたくさんありました。

 

—中高生に向けて、メッセージをお願いします。

「一人でもいいので、おもしろい大人と仲良くなったら、一味ちがう高校生活を送れると思います。」

同年代の友人だけじゃなくて、世の中色んな人がいるんだっていうことを知るキッカケにもなるし、まだまだ自分が知りさえもしない仕事があることに気付いたのも、年上の年代の人と知り合ったから。

いかに自分の見ているものが小さいかということも知れるので、自分がちょっとでも興味を持てる大人がいれば、つかまえて仲良くなったら、すごく面白い高校生活になると思います。

それまで知ることができなかった仕事や、知らない世界を知ることができると思います。見ていた世界がいかに小さいかが分かると思います。

学校だけに留まらず何か活動している先生や、いろんな体験をしたことのある大人って、本気で探せば周りにいると思うし、仲良くなりたいという気持ちがあれば、意外と仲良くなれると思います!

 

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「おもしろい大人との出会いが、自分の世界を広げる−中島智弘さん①−」

今回は、現在出版関係の仕事をなさっている、中島智弘さんに話を伺いました。

現在の中島さんは、出版プロデュースの会社で、WEBディレクターとして働く傍ら、シェアハウスの運営や、その他にも様々な活動をされています。

D×Pの第二期クレッシェンドのコンポーザーとしても、参加していただいていた中島さん。様々な経験を、自らの意志で選択してきていらっしゃることがクレッシェンドを通してよくわかりました。そんな彼は、単位制の通信制高校出身。全日制高校への入学は希望せず、中学卒業後の進学先として自ら通信制高校を選んだといいます。

通信制高校へ行くことになった経緯や、中島さんにとっての高校生活はどのようなものだったのかを伺ってみました。(書き手:西野可奈子)

 

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―高校進学前、中学時代はどんな学生生活を送っていましたか?

勉強は嫌いで、授業中についていけない所を、とにかくよく質問する生徒でした。勉強で分からないことがあれば、すぐに先生に質問していました。しかしある時、先生に「授業を止めないで」と言われてしまいました。

 

授業外に他の科目の先生に質問に行くと、自分の科目外のことは答えられない先生が多く、将来覚えてもいないことを、覚えなければならないことへの疑問が湧いて来ました。小さい頃から本をよく読んでいたからか、どのようなことに対しても「なぜ?」という疑問を持つ性格だったこともあるかもしれません。

 

暗記することの意味や、自分が興味のない科目をどうして勉強しなければならないのか、周りの大人にも聞いてみましたが、納得できる答えは得られませんでした。

友人に聞いても、「良い点を取るため」という答えが返ってくることがほとんど。そもそも勉強が嫌いで良い点を取りたいという意欲もなかったので、自分にとって腑に落ちる答えにはなりませんでした。

 

ある時、担任の先生に「どうして勉強をしなければならないのか」を聞いてみたところ、「君は勉強しなくていい」という答えが返って来ました。

先生としてはそこまで本気ではなかったかもしれませんが、自分は諦められたのだと思いました。中学1年生の後半頃には、学校へ毎日は行かなくなる日々が続きました。

 

―親御さんは心配されなかったですか?―

親には怒られ、力尽くで僕を学校へ行せようともしました。しかし、行かせようとされればされるほど、余計に行きたくなくなってしまいました。

時間が経てば、親もだんだんと力尽くで学校へ行かせようとすることはなくなり、家にいる間にコミュニケーションを取るためのボランティアの大学生を、毎週1回家に呼んでくれていたのを覚えています。

 

―その間、家ではどんな生活を送られていたのですか?―

本が好きだったので図書館へ行って本を読んだり、ゲームをしたり、パソコンの勉強をしたかったので、パソコンの教室を自分で選んで通っていました。

ボランティアのお兄さんとは、キャッチボールをしたり、話をしたりしていました。

学校の授業にも、好きな授業の時には登校していました。

 

―自分で通信制高校を選んだと伺いましたが、なぜ通信制高校だったのですか?―

そもそも、はじめは高校に行くつもりがありませんでした。

「大学進学のため」と言って周りが高校受験を始めるころ、大学に行ってやりたい勉強があった訳でもなかった僕は、高校へ行く意味が分からなかったのです。

 

また当時、レーシングカートを始めた頃で、高校に入ってもカートは続けたいと思っていました。そのためには、アルバイトをしてお金を稼ぐ必要がありました。当時全日制の高校しか知らず、高校に入ったらアルバイトやカートの練習が思うように出来なくなると思っていたので、高校へは行かずに、アルバイトで生活しようと考えていました。

 

しかし、尊敬していたレーシングカートでの仲間の言葉で、高校へ進学しようと意志が変わりました。

「高校卒業資格がないと出来ない仕事だってある。もし大学や専門学校に行きたいと思ったら、高校を卒業すれば進学することだって出来る。自分の可能性を広げるためにも、高校は行ったほうがいい」

 

それまで、友人に聞いても「大学へ進学するため」というような答えしか返ってこなくて、特にやりたい勉強がなかったのでなかなか腑に落ちなかったのですが、この言葉を聞いて、自然と納得することができました。

でも、カートは続けたいし、アルバイトもしないといけない。

 

そんな中で、単位制・通信制高校を見つけました。高校卒業資格も取れて、毎日学校へ行く必要が無いならアルバイトも練習も出来そうだと思い、家から一番近かった通信制高校(単位制で、週に数回通学するタイプの高校)への進学を決めました。

「強くイメージすることが全てに繋がる−川口塔子さん−②」

前回の記事はこちらから

http://dream-possibility.hatenablog.com/entry/2013/03/01/180730

 

-そして、高校を辞めて通信制に入ったんですね。学校生活はどんなものでしたか?-

 

「退学してから、次の月には通信制高校に入学しました。

入学した通信制高校は全日制(課程)のある高校です。

 

当時、体裁をすごく気にしていたので、全日制課程がある高校をあえて選びました。

今思えば、あの頃の私にとって、通信制に行くという選択は“マイノリティになる”

感覚だったんです。だから少しでも、学校名だけでも、マジョリティに見えるように…

って思っていたんだと思います。

 

学校は月2回のスクーリングがありました。

スクーリングは規定の回数があって、加えて半期に一度のテストがありました。

前の高校で結構単位を取れていたみたいで、

あまりスクーリングに行く必要がありませんでした。

スクーリングって言っても、レポート提出日に学校に登校して、その場でレポートをして、

提出してから帰るみたいな感じですけどね。」

 

-学校に行く必要があまりなかった分、普段はどのような生活をされていたのですか?-

 

「私が通信制高校に通わせてもらうための条件は、

“大学進学を目指す”ということでした。

でもその頃の私は、文字を見るのも嫌になっている状態だったので、

勉強なんてできる訳ないんです。唯一できることは、自分と向き合うことぐらい。

その頃、毎日、毎日、何時間もかけて日記を書いていました。

やっとできた“自分の時間”を使って、溜め込んでいた感情や思いを吐き出すことから

始めたんです。」

 

-では、通信制高校生としての生活を支えてくれたのは誰だったんですか?-

 

「家族、特に母でした。

 

不登校になってしまった時は、母親を困惑させてしまって、

色々衝突したこともあったんですが、通信制高校に転学して、

家にいることが多くなった私にとっては、母は唯一の話し相手でした。

 

話をしてみると、

母親の“一人の人間としての価値観”に改めて気付かされることが多くて。

なるほど、母親はこういう想いで生きてきたのかと思ったり。

 

そうやって、

今までできなかった多愛のない会話を重ねることで、お互いの考えていることや、

想いを、改めて伝え合うことができました。

今になってみれば、高校生という多感な時期に、

家族と面と向かって話をし続けるという機会は、

本当に貴重な時間だったなぁと思います。」

 

通信制高校を卒業してから、すぐに大学に入ったのですか?-

 

「いや、そんなにうまくいかなくて一回目の受験は失敗しました。

そして浪人生活を送りました。浪人中は、予備校に通いながら勉強をしました。

でも、この時は毎日プレッシャーを感じていました。

 

今まで家族を悲しませてきたし、色々迷惑をかけてきたから、もう失敗はできないって。

でも、いざ受験になるとうまくいかずに志望校には落ちてしまいました。

自分の中では、もうこれ以上の浪人はないと決めていたので、

その年、なんとか受かった山梨にある短期大学に入学することになりました。

 

でも、どうしても四年制大学への合格という、

通信制高校に入れてもらった時の“両親との約束”を果たさなきゃと思っていて。

それで、短大に入学をした後は、

目標を“四年制大学への編入”と決めて、編入試験に向けた勉強を続けていました。

  

その結果、無事に法政大学の編入試験に合格し、

昨年度から3年生の学生として法政大学に通っています。」

 

 

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大学で復興支援を目的とした物産展を開催した際の写真

 

通信制高校に通ったからこそ得る事でのできているものはなんですか?-

 

 「今だから分かるんですけど、大きく2つあるかなぁと。

 

まずは“本当の自分と思う存分向きあうことができた”ということ。

そして“家族との信頼関係を築くことができた”ということです。

 

私にとって、通信制高校の時間は、“充電期間”でした。

それまで、立ち止まることを許されなかった環境だったので、

自分の心の声に真剣に向き合うこともできていなかったと思うんです。

 

でも、通信制高校に通うという選択をしたことで、一度、立ち止まって、

18年間で築き上げた“自分“というのを再定義することができた…そんな感覚が強いです。

 

自分を掘り下げる作業はとても苦しいものだと思うんですが、

今の自分を理解することで、未来の自分の可能性を前向きにイメージすることができます。

そして、結果的に私は夢を抱けるまでになりました。

 

私にとって“通信制高校を選択する”ということは、

生まれて初めて“周りの人と違う選択をした”出来事でした。

 

大多数の高校生のように順風満帆な学生生活を送ることはとても楽しいことだと思います。

 

でも、“自分が自分らしくいられる”選択を“できる”ということは、

その時点で、もっと意味のあることができていると私は思うんです。

 

たとえ遠回りをしたとしても、自分と向き合い“こうしたい”“こうなりたい”という

強いイメージを持っていれば、人は自ずとその想いに動かさるものです。

 

私の今までの人生はそれの繰り返しでした。

だから、明るいイメージを持つことを諦めちゃいけないと思うんです。

今が本当に辛いなら、これ以上の辛さは未来にはありません。

 

方法論ではなくて、“こうしたい”“こうなりたい”という自分の中でのイメージが、物事を成し遂げる強い原動力になってくれるのだと私は信じています。」

 

(次週は新たな卒業生をご紹介します!)

「強くイメージすることが全てに繋がる−川口塔子さん−①」

今回ご紹介するのは、現在大学3年生の川口塔子さん。

川口さんは、現在就職活動をされています。
出会いは、私が通信制高校を卒業された方へ聞き取り調査をしている時に、
Facebookを見て「私に出来ることがあるなら是非ご協力させて下さい」

とご連絡を頂いたのがご縁でした。


自らメッセージを下さるほど活動的な川口さん。
実際にお会いしても、パワフルで芯のある女性で、

ブログに掲載することもご快諾頂きました。

そんな川口さんですが、高校の時は休みがちな生徒だったそうです。
川口さんいわく、「その期間が一番自分を見つめることができた時間」

とおっしゃっていたのが何とも印象的でした。

 

そんな川口さんに通信制高校に入るまでの経緯や、そこから今までどのように
様々な選択をされてきたかを伺ってみました。(書き手:朴 基浩)


f:id:dp_kihopark:20130228110733j:plain(写真は川口さんがインターンをされていた時の写真。中央でピースをしているのが川口さん)

 

−今は就職活動中だと思いますが、普段はどういった大学生活を送られているのですか?−

昨年度から東京にある2つの社会的企業インターンシップ

させて頂きました。
他にも、個人的に震災ボランティアに携わっていました。

ゼミでも、被災地域の調査をしながら
自らプロジェクトを立ち上げプロジェクトを実施するということをしています。

インターンシップをしようと思ったのは、高校の時に色々な本に出会ったからですね。
ある本で社会起業家を知って、是非会ってみたい、お話してみたいと思っていました。
けれども、実家は鹿児島でそういった人に会えると思っていなくて、
東京に来てすぐにそういった人に会う為に色々なアンテナを張り巡らせていました。

私自身は、今の大学に通うようになったのは2012年の春からなんですよ。
というのは2年間山梨の短大に在籍していて、

その後に編入試験を受けて今の大学に入ったんですよね。
でも、編入が決まると家を見つける前くらいからインターンシップというか

社会起業家に関わる機会を探していました。」

−話し方や立ち振る舞いもそうですけれども、活動的ですよね。中学や高校の時からそういった性格だったんですか?−

「中学のときは、周りからは模範生徒のように映っていたかもしれません。
弁論大会で優勝したり、放送部にいた関係でコンテストなどで賞をもらったりと。

静かな感じではなくて、結構目立つタイプだったと思います。

毎週のように表彰されたり、人前で話すことが多くありました。
作文を書いてほしいと先生に頼まれたり、よく学校の広報誌に載っていました。
今思えば、私の人生でその時が一番プライドが高かったと思います。笑 」

−そんな優秀だったら、高校受験にも苦しまなかったんじゃないですか?−

「幸い、このような結果を評価して頂き、中学校から推薦を頂きました。
九州では私立ではなくて、公立に通うことに結構価値が置かれていることもあって、
高校は学校から推薦を頂いた高校に入る事に決めました。」

−憧れの高校はどんな学校生活でしたか?−

「入学した高校は、とにかく勉強が大変でした。
進度がありえないくらい早くて。

もう入学して5月くらいには落ちこぼれになっていたと思います。

部活は放送部で、高校でもボランティア活動などもしていました。
でもそういった部活動や課外活動はできるはずもなくて、
勉強についていけない自分にいつも嫌気がさしていました。

今考えると、学力のミスマッチもあると思うんですけれども
それ以上に学校の勉強のやり方というか、学校の方針に合っていなかったのだと思います。

分からなくなったところを自分のペースで勉強しようとする。
でもその間、授業は先へと進み、今度は新しいところが分からない。
こんなかんじで、雪だるま式にテストでは低い点数を取り続けていました。
そんな苦しみで、最終的には、完全にメンタルがやられてしまって、

ある日気づいたら、文字を見るのも嫌になっていたんです。

−いつ頃から転校というか、退学について考え始めたんですか?−

「不登校ではなかったけれども、たまに休むことはありました。
いつも朝起きると「学校行きたくないな」と思う日が続いていて、

結局休みがちな高校生活を送っていました。

3年生になる時の始業式が終わった帰り道で、

なんとなく明日から私学校行かないだろうなって思ったんですよ。
不思議と人ってそういうのありますよね。案の定、次の日から学校に通わなくなりました。

私にとって辞めることは本当に最終手段でした。
なにかこういう“みんなと違う決断をする”ということで

親を悲しませたくないっていうのが常にありました。
今考えれば、学校に通わなくなって辞めるほど当時の自分の精神状態は

本当に究極だったんだと思います。」

(続きの記事は来週更新致します)

このブログについて

こんにちは。NPO法人D×P 共同代表の朴です。

本日はこちらのブログについて説明をさせて頂きます。

 

このブログでは、通信制高校を卒業した方にインタビューをさせて頂き、

特に通信制高校での生活やその生活が現在どのように繋がっているかにフォーカスした

記事を更新していく予定です。

 

NPO法人D×Pでは、現在通信制高校に通う生徒へのキャリア教育を提供しています。

キャリア教育をさせて頂く中で感じることは、

やはり色々な大人や先輩に出会っていくことが彼ら自身の進路を選ぶ際の参考になります。

そして、それをより多くの高校生に伝えていきたい。

そのような想いからこのブログを開設することとなりました。

 

また、教育に関わる多くの先生方、通信制高校の子どもを持つ保護者の方、

そして社会問題解決に興味のある方に少しでも現状を知って頂きたいと思い、

このブログを立ち上げたという事実もあります。

 

頻度としては毎週様々な方へのインタビュー記事を更新していきます。

初回のインタビュー記事の更新は今週中を予定しておりますので、

楽しみにお待ちください。

 

それでは、このブログをどうぞ宜しくお願い致します!