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「強くイメージすることが全てに繋がる−川口塔子さん−①」

今回ご紹介するのは、現在大学3年生の川口塔子さん。

川口さんは、現在就職活動をされています。
出会いは、私が通信制高校を卒業された方へ聞き取り調査をしている時に、
Facebookを見て「私に出来ることがあるなら是非ご協力させて下さい」

とご連絡を頂いたのがご縁でした。


自らメッセージを下さるほど活動的な川口さん。
実際にお会いしても、パワフルで芯のある女性で、

ブログに掲載することもご快諾頂きました。

そんな川口さんですが、高校の時は休みがちな生徒だったそうです。
川口さんいわく、「その期間が一番自分を見つめることができた時間」

とおっしゃっていたのが何とも印象的でした。

 

そんな川口さんに通信制高校に入るまでの経緯や、そこから今までどのように
様々な選択をされてきたかを伺ってみました。(書き手:朴 基浩)


f:id:dp_kihopark:20130228110733j:plain(写真は川口さんがインターンをされていた時の写真。中央でピースをしているのが川口さん)

 

−今は就職活動中だと思いますが、普段はどういった大学生活を送られているのですか?−

昨年度から東京にある2つの社会的企業インターンシップ

させて頂きました。
他にも、個人的に震災ボランティアに携わっていました。

ゼミでも、被災地域の調査をしながら
自らプロジェクトを立ち上げプロジェクトを実施するということをしています。

インターンシップをしようと思ったのは、高校の時に色々な本に出会ったからですね。
ある本で社会起業家を知って、是非会ってみたい、お話してみたいと思っていました。
けれども、実家は鹿児島でそういった人に会えると思っていなくて、
東京に来てすぐにそういった人に会う為に色々なアンテナを張り巡らせていました。

私自身は、今の大学に通うようになったのは2012年の春からなんですよ。
というのは2年間山梨の短大に在籍していて、

その後に編入試験を受けて今の大学に入ったんですよね。
でも、編入が決まると家を見つける前くらいからインターンシップというか

社会起業家に関わる機会を探していました。」

−話し方や立ち振る舞いもそうですけれども、活動的ですよね。中学や高校の時からそういった性格だったんですか?−

「中学のときは、周りからは模範生徒のように映っていたかもしれません。
弁論大会で優勝したり、放送部にいた関係でコンテストなどで賞をもらったりと。

静かな感じではなくて、結構目立つタイプだったと思います。

毎週のように表彰されたり、人前で話すことが多くありました。
作文を書いてほしいと先生に頼まれたり、よく学校の広報誌に載っていました。
今思えば、私の人生でその時が一番プライドが高かったと思います。笑 」

−そんな優秀だったら、高校受験にも苦しまなかったんじゃないですか?−

「幸い、このような結果を評価して頂き、中学校から推薦を頂きました。
九州では私立ではなくて、公立に通うことに結構価値が置かれていることもあって、
高校は学校から推薦を頂いた高校に入る事に決めました。」

−憧れの高校はどんな学校生活でしたか?−

「入学した高校は、とにかく勉強が大変でした。
進度がありえないくらい早くて。

もう入学して5月くらいには落ちこぼれになっていたと思います。

部活は放送部で、高校でもボランティア活動などもしていました。
でもそういった部活動や課外活動はできるはずもなくて、
勉強についていけない自分にいつも嫌気がさしていました。

今考えると、学力のミスマッチもあると思うんですけれども
それ以上に学校の勉強のやり方というか、学校の方針に合っていなかったのだと思います。

分からなくなったところを自分のペースで勉強しようとする。
でもその間、授業は先へと進み、今度は新しいところが分からない。
こんなかんじで、雪だるま式にテストでは低い点数を取り続けていました。
そんな苦しみで、最終的には、完全にメンタルがやられてしまって、

ある日気づいたら、文字を見るのも嫌になっていたんです。

−いつ頃から転校というか、退学について考え始めたんですか?−

「不登校ではなかったけれども、たまに休むことはありました。
いつも朝起きると「学校行きたくないな」と思う日が続いていて、

結局休みがちな高校生活を送っていました。

3年生になる時の始業式が終わった帰り道で、

なんとなく明日から私学校行かないだろうなって思ったんですよ。
不思議と人ってそういうのありますよね。案の定、次の日から学校に通わなくなりました。

私にとって辞めることは本当に最終手段でした。
なにかこういう“みんなと違う決断をする”ということで

親を悲しませたくないっていうのが常にありました。
今考えれば、学校に通わなくなって辞めるほど当時の自分の精神状態は

本当に究極だったんだと思います。」

(続きの記事は来週更新致します)