20130224110034

「自分の夢に出会う場所」ー横塚なつこさんー

お盆休みも明けて、皆様いかがお過ごしですか?

 

仕事や学校がスタートした方も、

まだまだ夏休み満喫中という方も

毎日、素敵な夏の1日を送りたいものですよね。

 

夏が来て、思い出すものはありますか?

私の場合は、高校生の頃ひょんなきっかけで

なぜか野球部のマネージャーとなってしまった

夏休みを思い出しました。

 

他校の高校生と仲良くなり、

「青春」というものを毎日

すごく肌身に感じた夏でした。

 

今年の夏は、どんなものになるでしょうね。

 

――――――――――――*

 

今回ご紹介させていただく

通信制高校卒業生の方は、横塚なつこさん。

 

彼女も野球部のマネージャーをされていて

そんなこんなな繋がりで、

今回協力をしていただけることとなりました。

 

――――――――――――*

 

通信制高校を卒業されて、今はどういうことをされているのですか?-

 

現在は新大阪にある、美容の専門学校に通っています。

 

f:id:dp_kihopark:20130808124725j:plain

 

―今は、美容の専門学生の2年生ということですね。

美容の専門学校に進学することになったエピソードなど、

あったのでしょうか?-

 

中学生の頃いじめにあい、気分も落ち込み学校に行けない日々が

続いていたんです。

そんな時、いつも通っていた美容室に行き、髪の毛を切って貰って

気分ががらりと変わり明るくなりました。

幼い頃から人の役に立てる人間になることが目標だった私にとってはすごく衝撃的で、

美容師も人を助けることができるのだと感じ、

さらにその美容師の方に憧れを持つようになり、元から少し美容に興味があったため、

私も美容の世界で仕事がしたいと思うようになり、専門学校に行くことを決めました。

 

f:id:dp_kihopark:20130821214537j:plain

 

―中学生の時からの長年の夢だったのですね!

通信制高校には、中学校を卒業してすぐに進学されたのですか?-

 

最初は全日制の高校に通っていたんです。

中学校に行けていなかった私は担任の先生からも、ものすごく酷いことを言われ、

お前は高校になんか行けないとまで言われました。

悔しくて、悔しくて意地でも全日制の高校に行きたかったのです。

いざ行ってみると全く楽しくなく、通っている意味も、これからずっと通っていても

得ることなど全くないと思いになりました。

そんなとき知り合いの方からECCという通信高校があるということを

聞いていたことを思い出し見学に行ったのです。

 

―初めから、通信制高校ではなかったのですね。

全日制高校から通信制高校へ転校されて、

どのように過ごされていたのですか?―

 

中学生の頃、友達に裏切られた経験のある私は人間不信でした。

ですので、初めはすごく怖かったです。友達ができるのかもわからない、

また裏切られるかもしれないという気持ちでいっぱいでした。

学校に行っても1、2時間で帰る、お弁当を持って行っていても、

持って帰るという日々が続きました。

でも先生と話すようになり、そこから生徒と話すようになり、

野球のマネージャーも経験させていただき、本当にたくさんの友達ができて、

通信制高校でないと経験できないような最高の高校生活を味わうことができました。

 

――野球部のマネージャーは、2年ほどされていたのですよね。

マネージャー以外にも、通信制高校で新しく始めたものや、

通信制高校に入る前から続けてきたものなど、あったのですか?――

 

私は4歳の頃よりエレクトーンを、小学1年生の頃よりガールスカウトを、

4年生の頃よりバトントワリングと手話を続けてきました。

高校生になっても辞めることなく続け、今でも専門学校に通いながらも続けています。

あとは高校2年生のときに、学校の授業の中にあったビューティーコースに入り、

ヘアやメイク、着付けなどを学び、

3年生になってからはネイルの検定を2つ取得することができました。

 

―夢に向けて努力されていたのですね!

色んな経験をされてきていますが、多くのことを頑張ることができた背景に、

何か支えとなるものはあったのでしょうか?-

 

一番の支えになったのは、やはり一番近くで支えてくれた家族です。

しかし不思議なことに中学にはほとんど行けていなかった私ですが、

中学からの友達が多くその友達にも支えられました。

あとは学校の先生や、バトントワリングの仲間、

手話の先生や仲間の大人の方々です。親戚や近所の方から、

友達のお母さん達からも支えていただき、

私は本当にたくさんの方に支えて頂き幸せだと感じることができました。

 

――沢山の人に支えられてきたのですね!

最後に、通信制高校生に向けてのメッセージをお願いします。―

 

通信制高校にはたくさんの事情を抱えて来ている人がたくさんいます。

だからこそ相手のことを思いやれる人がたくさんいると思います。

私はそこで、個性を出しても良いのだ、

信じることのできる人もいるのだということに気づかせてもらいました。

通信制高校では年齢も関係なく、いろいろな人と接することができます。

だから今まで知らなかったことも知ることができ、自分自身大きく成長でき、

人とのつながりが濃くなります。

自分の好きなことを好きなだけすることができますが、その分、

悩んだりすることも正直多いです。

でも必ず信じることのできる先生や友達が支えてくれます。

私にとって通信制高校は一歩踏み出す勇気をくれた場所です。

人と学校が大嫌いで怖く、友達なんていらないと思っていた私が、

今では友達っていいな、学べる場所があるっていいな、学ぶって楽しいな、

と思えるようになりました。

だからきっとみなさんも、一歩踏み出すことは勇気がいることで怖いけど、

背中を押してくれる先生や本当の友達、そして自分の夢に出会えるはずです!

 

―――――――――――――*

 

通信制高校では、今回の横塚さんのように

自分の好きなことをするために、自分の夢のために

時間を有効に使うことができます。

 

趣味のために、お金を貯めるために、

通信制高校に通いながら専門学校で勉強するために、

ゆっくり勉強したいために、留学するために・・・・

 

通信制高校に通いながら、できることは

沢山あります。そこがメリットだと言えるでしょうね。

 

次回のエッセイも、精一杯頑張りますので

よろしくお願いします。

 

ご覧いただきありがとうございました!

 

 

「自分を抑え込まずに生きられる社会に―岩田裕子さん―」

 こんにちは。

久々(2カ月ぶり!)の更新となってしまいましたが

皆様いかがお過ごしでしょうか?

 

久々の更新に当たり、ご報告があります!

今回から、D×Pのインターン生である石原が

エッセイブログを更新させていただくことになりました。

 何かと至らぬ点などあるかと思いますが、

どうぞよろしくお願いします。

 

それでは、約2か月ぶりとなる

通信制高校卒業生エッセイを更新させていただきます。

□■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

今回ご紹介させていただく方は、岩田裕子さん。

D×Pの活動に興味を持ってくださっていた岩田さんは、

今井の講演会に参加されたときに自ら声をかけて下さり

今回ご協力していただきました。

 

通信制高校を卒業した後も、

通信制の芸大、短大に通われたりと

通信制をフル活用されている岩田さんに、お話を伺いました。

 

 ――現在は、どのようなことをされているのですか?――

「今は、4歳と小学2年生の娘と一緒に暮らすお母さんです。

 

通信制高校を卒業してから通信制の芸大の芸術学部に入学し、

アルバイトをしながら学んでいましたが、

当時の私には家庭を持ち、子育てをしたいという夢がありました。

 

 そして、入学2年目に長女を出産し、3年目に1年間大学を休学して、

“子育てについて最初から学びたい!”と思い、

その後通信制の短大へ編入しました。」

 

f:id:dp_kihopark:20130614172532j:plain

(岩田さんと、娘さんお二人とのお写真)

 ――夢だった子育てをされながら、大学に通われていたのですね。

それだけでも凄く大変なことだと思いますが、そのほかにも何かされていたのですか?――

「 幼児教育についての勉強をしながら、食物アレルギーの長女のための食事やおやつ作りを研究したり、自治体の子育てサークルの代表をしたりしながらも子育てをしていました。 次女を出産し、離婚をした後、自分で子育てサークルを開いたり、

子育て支援活動について学んだり、取り組んだりもしていました。」

 

――子育てと大学生活は両立できていたのですか?――

「通信制の短大は、あと少しのところで最長修業年限を迎えてしまい、

一旦退学をすることになってしまいました。

今ようやく、ゆったりと過ごせるようになったので、

近々再入学をして卒業を目指す予定です。」

 

 ――とても幅広く活動されていますね!

そもそも、通信制高校を選ばれた経緯はどういったものだったのですか?――

「小学高学年と中学生の時に不登校だったんです。

 

 小学生の時にイジメを受けたという経験もありますが、不登校になってしまった一番の理由は、学校というものに対する違和感だったと思います。

何てしんどくて、自分に合わないところなのだろうと、感じていました。楽しい時もあり、好きな先生や友達もいましたが、学校は大嫌いで、とても嫌だったんです。

 

中学卒業間近に、担任の先生が進学先に県立の通信制高校をすすめてくれ、ここなら自分の好きなこと、やりたいことをやりながら、働きながらも自分のペースで学べると、入学を決めました。」

 

  ―希望をもって通信制高校に進学されたのですね。学校が大嫌いだと思われていた岩田さんにとって、通信制高校での生活はどのようなものだったのでしょうか?――

「学校には、私のように15歳の人から、高校を中退して編入した人、子育て中の人、働いている人、おじいちゃんやおばあちゃん、車椅子で通学する人、朝鮮高級学校に通いながら通信制に集団入学をしている人たち、などなど、色々な人が一緒に勉強をしていました。

 

 先生方は皆、素晴らしい方々ばかりで、

私は生まれて初めて自分もこんな学校の先生になりたい!と思ったほどでした。

 

とても楽しくて、おもしろい、充実した高校生活でした。」

 

 ――今までの学生生活とは違う出会いや発見があったのですね!おもしろくて、充実した高校生活ということですが、具体的にどのようなことをされていたのですか?――

「高校は5年間かけて、のんびり卒業しました。

5年間という時間の中で、写真部に入ったり、人生で一番悩みの多かった不安定な時期があったのでそれを乗り越えたり、小説や詩をたくさん読んだり、映画や演劇を観たり、初めてのアルバイトをしたり、小演劇の劇団に入ってお芝居をしたりしていました。」

 

――通信制高校に通っているときに、勉強などについて悩んだりすることもあったかと思いますが、支えてくれる人の存在や、支えになっていたものはあったのでしょうか?――

「両親が支えてくれていました。

私のことをいつも見守ってくれていて、困った時や必要な時にはいつも助けてくれたので、とても心強く、私は安心して自由に勉強を続けることが出来ました。」

 

――岩田さんにとって通信制高校とはどのようなものだったのでしょうか?――

「多様な学ぶ場所があり、それらを選択することができるということ、道は一つではなく、一つのやり方や、よくあるやり方にとらわれずに生きられるということ。それを、身をもって分かることができました。

 

 学校教育のしくみや制度への疑問、学ぶ場所の選択肢が限られていることへの不満。自分の幼い時の違和感から始まり、不登校、通信制高校で学んだ体験を通して、それらを越えて、自分のやりたいやり方を、生き方を、切り開いていけたように思います。

 

 “自分を抑え込まずに生きられる社会に、

もっともっとなれば良いなと思います。”」

 

f:id:dp_kihopark:20130616182512j:plain

 

 ――最後の質問になりますが、岩田さんのこれからについて教えてください。――

「我が家の小学2年生の長女は、箕面こどもの森学園というオルタナティブスクールに入学し、学んでいます。その選択を娘と一緒に考えることが出来たのも、自分の通信制高校に通っていたという体験は大きかったと思います。

 

通信制高校というものが、特別なものではなく、誰もが当たり前に選択肢の一つにすることが出来るようになれば良いなと思いますね。自分の娘たちにも、将来進路を考える時に、通信制高校も選択肢に入れてほしいなあと、思っています。」

 

「自分らしい人生の歩みを見つけてゆけばよい−中谷紘子さん−」

NPO法人D×Pでは、様々な場所でご講演させて頂く機会があるのですが
ある時の講演後、ご丁寧にお手紙を下さったのが中谷さんでした。

「私も通信制高校に通っていたので、是非何らかの形でご協力させてください。」
とお声かけ頂き、今回は中谷さんについての記事を公開させて頂くこととなりました。

中谷さんにとって通信制高校とはどのようなものだったのでしょうか。
お話を伺ってみました。

−現在はどういったお仕事をされていますか?−

「現在、私は母親の介護をしながら、様々なボランティア活動をさせて頂いています。

以前は、福祉のお仕事をしていました。知的障がいをもたれている方の入所施設や、作業所、就労支援のお仕事に関わらせて頂いていました。」

−以前のお仕事を離れられたきっかけはなんだったんですか?−

「私の仕事は、人を援助する専門職です。
私は、仕事に誇りを持っていました。仕事が大好きでした。

しかし、母の病気がきっかけで、本当に大切なもの、守りたいものを

心から見つめ直しました。私は、仕事より、家族を守ることを選び仕事を離れ、

現在、家族の支えやボランティア活動をし、自分磨きをしています。」

−なるほど。今のお仕事と繋がる部分もあると思いますが、
通信制高校をお選びになったときのことについて教えて頂けますか−

「私は、中学3年間、不登校を経験しました。
なぜ、学校に行かなくなったのかというと、
自分の心を見つめ直したかったからです。どの様に生きていけばよいのか、

突然、分からなくなってしまいました。

"なぜ生きているのか""生きるとはどういうことか"、
誰も教えてくれない事ですので、自問自答の毎日でした。

今、振り返ると、学問より大切な事を学んで考えていた様な気がします。
勉強は、手につきませんでしたので、結果として
通信制の高校しか進路選択がありませんでした。」

−では、入学された通信制高校の生活ではどのような生活をされていたのですか?−

「16歳で、通信制の高校に入学しました。

入学し、担任の先生が私に対してお話して下さった始めの一言は、
"私の様に中学を卒業してすぐに入学して学んでいる方は、とても少なく、

様々な境遇の方が学ばれている高校なので、イメージする高校と違うの

でびっくりしないでね。"という言葉でした。

その言葉の通りでした。

子育てしながら学ぶ方、働きながら学ぶ方、病気・障がいをもたれて学ぶ方、編入されて学ぶ方等。お出会いした方の数だけ、通信制高校の生活は、皆それぞれ違うものでした。

通信制の学びは、自主自立です。
自分で、目標や夢、生活スタイル等を選ぶ「自由」を与えられます。
私にとって「自由」ほど、厳しいものはないなと思ったのが、高校時代でした。

"どの様に人生を選びどの様に生きていくかはあなた次第"

それが、通信制の学びの中で、一番の難しさで大変だったことでした。

その学びが、私の人生の中で大きな支えになっていると思っています。」

−学校生活と並行して取り組まれていたことなどはありましたか?−

「私の趣味は、パッチワーク(キルト)です。

高校時代、ひたすらにキルトの練習をしました。
高校時代は、美術の課題でこどもが遊べる様な50音ブロックを自分で考え、
牛乳パック等を使い手作りでもの作りをしていました。

大学時代も、キルトの練習を続け卒業前に美術展に応募し入選しました。
今も続けており、3度程入選しました。」

 

f:id:dp_kihopark:20080928111026j:plain

(趣味であるパッチワークの写真)


−では、通信制高校の生活を支えた下さった方のお話などを教えて頂けますでしょうか?−

「中学時代、とてもお世話になった児童相談所の先生です。

"しんどいのは、つらいのは今のうちだからね。
自由になれるのは時間の問題だからね。"

私は、支えて頂いたことがきっかけで、

"わたしも人に光を射せる事の出来るような温かい優しい相談員になりたい"

という夢を持つ事が出来、大学で社会福祉を学びました。

もう一人、私の人生に欠かせない人は、当時5年程お付き合いしていました、恋人です。

彼が、私の人生の道しるべとなって支えてくれました
。私が一人で歩けるようになるまで、一緒にいてあげる。

といって、今現在は、彼も彼自身の人生を歩み続けていると信じています。」

−そのような通信制高校の生活があったからこそ、今に繋がっているものはありますか?−

「通信制の高校は、学びのスタイルを自分自身のペースで選べる事です。

私も、ゆっくり学びたかったので、
大学進学に向け、20歳まで高校で学んでいました。

人生は、決まったレールの上を歩くのが自分にとって本当に幸せかどうか。
そのレールを外れても、又新しく自分の道を自分らしい人生の歩みを見つけてゆけばよい

と言う事を私は、様々な方とお出会いして感じていることです。

私は私らしく、あなたはあなたらしく。
人との出会いは、決して偶然ではなく必然です。
必要な方には、必ず何かの形で出会えます。

だから、人との出会いや周囲の方への感謝の気持ちを常に忘れないことが、

生きていく中で大切な大切な事だと思います。

 

f:id:dp_kihopark:20130405121311j:plain

(いつまでも感性や感受性を大切したいと話されていた中谷さんが撮影された写真)

そして、自分を必要としている方が必ずどこかにいるはずです。
優しくしてもらったら、優しさをその人にかえせなくても誰か他の人でもいい。
優しさの恩返しの繰り返しが出来れば素敵だなと思います。

優しい心を忘れず、やさしい温かい言葉をつかえるように私は、
高校時代の人との出会いで学んだきがします。

人と人とは必ずどこかでつながっています。
もし、困っているかた、悩んでいる方、周りにいらっしゃれば、

自分が元気なときでいいので、優しい言葉と笑顔をその方に分けてあげてください。

あなたはあなたのままでいい。ありのままでいいと思います。
時には立ち止まり、気持ちのいい場所に立ち周囲を見渡し、
休んでもいいんですよ。そんな時間が、人生の中には必要です。

あなたにとっての幸せ探しをしてみてくださいね。
近くに幸せはたくさん見つかりますからね。」

 

 

「好きなことを突き詰めて自分が選択する行動に信念を持ってほしい−亀田健朗さん−」

私(朴)自身が大学に通っているときに、

秋田のAIU国際教養大学)から国内留学をしている
面白い学生がいると聞いて、お知り合いになったのが今回ご紹介する亀田さんでした。

今は秋田の大学に通われる亀田さんに、様々なお話を伺ってきました!

 

f:id:dp_kihopark:20130423132637j:plain

(サウジアラビア人とモスクへ行ったときの写真)

−現在はどのようなことをされていますか?−

「職業としては大学生になりますが、今現在は就職活動中、いわば就活生です。
将来の道を決めている真っ最中にいます。笑」

−大学は国際教養大学だったと思いますが、どのような経緯で今の大学を選ばれたのですか?−

「大学生活においてすべて英語で授業をする点で、
英語で物事を考え、意見を発信できる自分になる事を想像しワクワクしたんですよね。

また留学が1年間必須である点で、
英語圏以外に留学して"自分の知らない広い世界を見てみたい!"

という好奇心を満たしたかったんです。」

−好奇心旺盛ですね!そういえば、亀田さんは通信制高校出身だったとお聞きしているんですけれども、通信制高校を選んだ経緯はどういったものがあったんですか?−

「僕は、特に目標もなく福岡県の普通高校に進学しました。

目的がなかったので毎日嫌々高校に行く意味が見つかりませんでした。
というのは、私はあまり活発な性格ではなく、
積極的にクラスメイトと交流を持たなかったんですよね。
今考えると、高校生活に楽しさを見出す事は当時の自分にはできない事でした。

ただ学校に存在するだけなら行く必要がないと思って、
1年次の9月頃から高校に行かず昼間は板金屋で働き始めました。

通信制高校を調べた理由は、

"なんとなく高卒資格は将来の為に必要かな"程度で考えていたんだと思います。

そんなこんなで、2年の夏に通信制高校へ転入学をしました。」

−転入した通信制高校での生活はどういった学校生活でしたか?−

「1,2ヶ月に1回ほど2~3時間だけの進級テストの為に通学しました。
学校の授業や催し物に参加した記憶は数回あるが、思い出がないんですよね。

大学生になって、

 

色々な人と出会う中でみんな文化祭や体育祭の思い出話とかするじゃないですか?

そんな時に自分には思い出がないなーって思うことがって、
もっと青春(?)らしいことすれば良かったって正直後悔しています。」

−じゃあ結構働くことがメインだったと思うんですけれども、
学校生活以外に注力したこととかってありましたか?−

「通信高校時代はお金を稼ぐことに没頭しました。
昼間の板金屋の仕事と平行して、夜にガソリンスタンドやラーメン屋で
働きました。

後、海外にとても興味があり、アメリカ、オーストラリア等に
フラッと出かけてみたんですよ。
その時に英語に触れ合って、日本国外で生活してみようというきっかけになり、

卒業後にオーストラリアにワーキングホリデーに行きました。」

 

f:id:dp_kihopark:20000328105805j:plain

カンボジアの寺の人と撮った写真)


−その働くことがメインの高校生活を支えたくれた人の存在などはありましたか?−

通信制高校に行く事は高卒資格を取る作業みたいなものでしたが、
生活面のサポートは父親にとてもお世話になりました。

家に帰らず好き勝手に働き遊んでいたんですが、
納税手続き等の社会上の援助を影ながら何も言わずやってくれていたのだと思うと

正直頭が上がりません。

働いていた板金屋の親分はいつも優しく、
家に呼ばれて家族と夕飯を共にしたりして当時の生活を支えてくれました

また中学時代からの友人と毎日のように一緒にいる日々を過ごしていました。
この友人の存在は僕にとっては大きかったですね。」

−では、通信制高校に行ったからこそ得ることのできたものってなんですか?−

「僕は、通信制高校の生活があったからこそ、自分がやりたいことに没頭できました。

お金を貯めて海外に行ったりすることで、当時自分の憧れでった環境を作っていきました。私にとって通信制高校の選択は、なりたい自分になる為に学生生活に割く時間を省いた結果でした。

ここからは、皆様へメッセージ的なものになりますが、

自分が選択したことですが、16-18才の3年間の思い出は一生を左右すると思います。
いま高校選択の渦中にいる方は自分自身のやりたいことを考えるべきだと思います。

ちょっと厳しい言い方になりますけれども、
まず自分が何故そうなりたいか、何の為に、将来どうするか、
といった点をじっくり考えてください。
そして、具体的な目標を持って、日々計画的に取り組んでみてください。

話が大きくなってしまいますが、
時計の針は巻き戻せないから、選択肢を与えられた状況下ならば

しっかりと未来を想像しいろんな情報を集め、後悔を残さない道を選んで欲しいです。

好きなことを突き詰めて自分が選択する行動に信念を持って、たった1回しかない人生の大切な瞬間を楽しんで生きて欲しいです。ちなみに私は、今も悩みながら充実した生活を送っています(笑)」

「建設的に何かに取り組めば、 人には負けない何かを身につける事ができる−中村空俊さん−」

過去にひょんなことで、お知り合いになった中村さん。
通信制高校の時間は、

「人には負けない何かを身につける時間となる」

と話される中村さんに、お話を伺ってきました。

−現在はどのようなことをされているのですか?−

「今は、仕事をしながら夢を実現するために資格取得のための勉強をしています。
日中は、建設会社に勤務しています。そこでは、不動産物件の撮影や採寸、

図面書きなどを行っております。

そして仕事が終わってから、専門学校で勉強をしています。
学校では、二級建築士取得の為の勉強をしています。

実際、仕事をしていることもあって学校以外で
勉強の時間は取れないので、朝は早めに起きて勉強をしています。」

 

f:id:dp_kihopark:20110826155120j:plain

(中村さんがプロデュースさらた店舗)

−仕事、そして資格も含めてなぜそのようなことをされるようになったのですか?−

「幼少期から家の空間構成を考える事が好きで、

注文住宅等の設計を生涯自分でできる仕事にしたいと思っていまして。
後々独立を考えており、死ぬまで仕事ができる程の、知識と知恵と技術を磨いていく為に、
20代のうちに、基本的な知識をこの分野で幅広く、確実に身につけておきたい、基礎をガッチリ固めたいと思っています。

大学時代は家具等のモノから学ぼうとプロダクトデザインという領域を学び、

主にデザイン哲学等を学びました。


しかし、専門職は基本的な知識と基礎技術がないと中々修業もさせて頂けないので
学校へ行きながら、少しでも力になる、勉強になる仕事をさせて頂いています。」

−すごく技術者って感じがしてまさか通信制高校に通われていたとは思えないのですが、
通信制高校に通い始めることになったのはなぜだったんですか?−

「結論からいうと、高校を中退して転入しました。
進学校にいましたが、少し行き過ぎた行為で学校の面目もあってか、自主退学をさせられました。
簡単な話、意気がった奴を殴ってこらしめたら、やり過ぎちゃったという話です。笑」

−その時、周りの人はどんな反応をされていましたか?−

「担任は泣いて退学になってしまった事を謝って頂きましたし、
私の事をしっているクラスメートの方々は、なんで退学になるのかと、

泣いてくれた方々もおりました。


その時は私は委員長をしていましたが、いなくなってしまってから一年間、
委員長の座は空けて副委員長が頑張ってくれていたようです。」

 

−それで通信制高校に入学されたと思うのですが、通信制高校ではどういった学校生活をされていましたか?−

「転校したのが、高校3年の6月で、前籍校が進学校だった為、

必要単位がほとんど取れていました。
なので、高校3年の6月に通信制高校に転校してから8回学校に来たら卒業できるよ、との事でした。

試験も教科書まるまる出ますし、勉強ではなく、

高校卒業という体裁の為の学校という感じがしました。


見方を変えると、自分で考えて行動する時間が一気に増えますので、自分のやりたい勉強、活動に集中できました。」

−学校生活の傍らでされた活動はどのようなものがありましたか?−

「昼間は飲食店等でアルバイトをし、夕方は画塾(芸大へ行く為)へ通い、
夜は趣味のスケートボード等をして、土日はクラブへ行ったりしてめいいっぱい遊んでいました。」

 

f:id:dp_kihopark:20130416143600j:plain

(何事もやるなら本気と語る中村さん)

−その時の生活を支えたくれた人の存在や、そういったものはありましたか?−

「同じ中学出身で同じ高校に進学した友達が、
私が通信制に転校する数ヶ月前に、退学になり、同じ通信制に転校していました。
その友達と話していた事は、俺らは、こうなった以上親が一番心配しているだろうから、

人一倍勉強して、
志望校には確実に進学しないと、喋っていました。
私とその友達は現役で、大学に進学したので、結果的には通信制で良かったです。

恐らく、自分で考えて自分で行動する必要が多く、
やらされる日々をおくって物事を深く考えない生活から脱出して自立性が伸びていたのが
受験勉強にも繋がったのかなって思っています。」

f:id:dp_kihopark:20130416143547j:plain

(人との出会いが仕事に繋がり、自分の成長にも繋がると話されていた中村さん)


通信制高校に通ったらこそ、得る事のできたものはどのようなありましたか?−

「毎朝決められた格好で決められた場所に決められた時間に通い、
決められた事をこなし、決められた時間に帰る。
これは社会に出ると大変重要な事にもなりますが、時に、自分で考えて自分で行動する。
働く時は、働く、勉強する時は勉強、遊ぶ時は遊ぶ。

 

といったように自分で決めた時間の使い方を
自分がしたいようにこなせたので、毎日生き生きとしていました。
周りと違った選択肢をしたとしても、建設的に何かに取り組めば、
人には負けない何かを身につける事ができる大事な時間となると思います。」

「高校は義務ではなく、自分の夢を叶えるための手段である−小林由季さん②−」

通信制高校の生活はどのようなものでしたか?−


「第一高等学院で高卒認定試験の通信のコースを選び、独学で勉強していました。カウンセリングや面談は登校して担当の先生に話を聴いてもらってました。


なので、あまり通信制高校内の記憶や思い出はありません。当時、入院生活と高校を両立していたので、入院生活中にまとめて高認の勉強をしていました。


−その時、すなわち通信制高校の時期を支えてくれた存在はどのようなものがありましたか?−


「親ですね。親が私の将来を諦めず、応援し続けてくれたこと。

親の考え方や価値観が柔軟だったこと。通信制高校という道を教えてくれたこと。
情報の有無は、人一人の人生を変えると思います。」


通信制高校に通ったからこそ、得ることのできたものはどのようなものがありましたか?−

「16歳の夏(高校1年生の夏休み)に高卒認定試験に合格したのですが、

結果的には恩師の先生がいたので今まで通っていた高校を辞めず、単位ギリギリで卒業しました。

病気をもっていたことで、高校の単位が足りず、いつ辞めるか分からない状態。なかなか学校も通えなかったので、一歳年下の同級生達と過ごす高校生活は精神的に決して楽なものではありませんでした。
(結果的には、2学年に渡り、最高の友達を創れたので楽しかったです)


実際、当時留年者が8名いたんですが、卒業したのは私一人だけでした。(後は皆、退学)それだけ、高校での留年や休学って厳しいものなんだと痛感させられました。


高卒認定があったことで、セーフティーネット代わりではないですが、“いつ高校を辞めてもいいや”という安心感が得られたことで、高校に通い続けられたと思います。


一般高校と通信制高校の両方を体験できたおかげで、
・高校は義務ではなく、自分の夢を叶える為の手段であること(高校行けなくても死ぬ訳じゃない)
・一般の高校に行かなくても、面白い生き方をしている人が沢山いること


を知る事が出来、人間としての幅が少し広がった気がします。」

f:id:dp_kihopark:20120521144248j:plain

「高校は義務ではなく、自分の夢を叶えるための手段である−小林由季さん①−」

今回ご紹介するのは、小林由季さん。小林さんは、今年の春から新社会人として企業で働かれています。一方で、「戦略的通信高校という進路の選び方」というブログで、新しい生き方や働き方を提案・発信されています。積極的に活動されている小林さんに、お話を伺ってみました。

f:id:dp_kihopark:20110822113352j:plain

 (ヒッチハイクをされた時の小林さん)

 

−現在はどのようなお仕事をされていますか?−

「株式会社インサイトという障害者雇用を促進するコンサルティング会社で新卒1年目として働いています。また、「人生転んでナンボ!這い上がり奮闘記」という個人ブログを開設し、生きづらさを抱えた人達の視点から新しい生き方や働き方を提案・発信しています。


−まず、今の仕事を選ばれた経緯を教えてください−
私自身が慢性の病気を持っていたため、働き方の面で一般企業での勤務が大変厳しく、

就職活動の時に壁にぶつかりました。


その時、大学時代からずっとソーシャル・ビジネスに関連する事業に携わりたいと思っていたところ、お世話になっている方の紹介で大学3年時から今の会社にインターンを始めることになりました。


「生きづらさを抱えた人達がイキイキ働ける社会を創る」という会社のミッションに感銘を受け、そのまま就職という形になりました。」


−小林さん自身の原体験のようなものが影響したのですか?−


「高校留年と長期入院(7年)を経験していたことで、その間に生きづらさを抱えた人達や色んな生き方をしているロール・モデルの方達と出逢うことが出来ました。


 彼らは能力や素晴らしい才能を持っているにも関わらず、


・中退・中卒など学歴がないこと
・障害や病気をもっていること


などを理由に、その才能を社会で発揮する場所がなかったり(働く場所がない)社会復帰することがとても困難(一般のレールを外れると、普通の道に戻るのが大変難しいし努力を伴う)な、この社会がとても悔しかったんです。


個人で出来る事も限界がありますし。自分自身が社会復帰の際に悔しい想いをしたからが理由の一番かもしれません(自己中ですね、、、、苦笑)
だから、私や彼らのような人達が社会に必死に努力して合わせるのではなく、社会や時代を私達の方に近づけようと思いました。


常識と呼ばれているレールの”すきま”や”抜け道”を提案して、その人の個性をそのまま活かし能力が発揮出来るような生き方や働き方を創ることが出来たら素敵だなって。例えばブログ記事内の「戦略的通信高校という進路の選び方」などで紹介させてもらってます。」

f:id:dp_kihopark:20120521141130j:plain


−ということは、やはり通信制高校を卒業されたということだと思いますが、通信制高校に入るまでにどんなことがあったのですか?−


「高校1年の時に、症状の悪化で学校に通えなくなり単位が足りず休学。高校中退まで考えたが、昔からの夢【医者になること】がどうしても諦めきれなかったので
高校を辞めても大学へ行ける方法を模索していました。

 

その時に、母親が高卒認定の話をどこかから聞いてきたらしく、地元岡山県内にある通信制高校を調べ、親と見学をしに行く事に。
第一高等学院の担当の先生がとても素晴らしい方だったので、高認コースを受けることを即決しました。
病院に入院していたため、通学が厳しく、通信教材で勉強出来る「通信コース」を選び、入院しながら勉強しました。」

(次週は、小林さんの記事の続きを更新します)