過去にひょんなことで、お知り合いになった中村さん。
通信制高校の時間は、
「人には負けない何かを身につける時間となる」
と話される中村さんに、お話を伺ってきました。
−現在はどのようなことをされているのですか?−
「今は、仕事をしながら夢を実現するために資格取得のための勉強をしています。
日中は、建設会社に勤務しています。そこでは、不動産物件の撮影や採寸、
図面書きなどを行っております。
そして仕事が終わってから、専門学校で勉強をしています。
学校では、二級建築士取得の為の勉強をしています。
実際、仕事をしていることもあって学校以外で
勉強の時間は取れないので、朝は早めに起きて勉強をしています。」
(中村さんがプロデュースさらた店舗)
−仕事、そして資格も含めてなぜそのようなことをされるようになったのですか?−
「幼少期から家の空間構成を考える事が好きで、
注文住宅等の設計を生涯自分でできる仕事にしたいと思っていまして。
後々独立を考えており、死ぬまで仕事ができる程の、知識と知恵と技術を磨いていく為に、
20代のうちに、基本的な知識をこの分野で幅広く、確実に身につけておきたい、基礎をガッチリ固めたいと思っています。
大学時代は家具等のモノから学ぼうとプロダクトデザインという領域を学び、
主にデザイン哲学等を学びました。
しかし、専門職は基本的な知識と基礎技術がないと中々修業もさせて頂けないので
学校へ行きながら、少しでも力になる、勉強になる仕事をさせて頂いています。」
−すごく技術者って感じがしてまさか通信制高校に通われていたとは思えないのですが、
通信制高校に通い始めることになったのはなぜだったんですか?−
「結論からいうと、高校を中退して転入しました。
進学校にいましたが、少し行き過ぎた行為で学校の面目もあってか、自主退学をさせられました。
簡単な話、意気がった奴を殴ってこらしめたら、やり過ぎちゃったという話です。笑」
−その時、周りの人はどんな反応をされていましたか?−
「担任は泣いて退学になってしまった事を謝って頂きましたし、
私の事をしっているクラスメートの方々は、なんで退学になるのかと、
泣いてくれた方々もおりました。
その時は私は委員長をしていましたが、いなくなってしまってから一年間、
委員長の座は空けて副委員長が頑張ってくれていたようです。」
−それで通信制高校に入学されたと思うのですが、通信制高校ではどういった学校生活をされていましたか?−
「転校したのが、高校3年の6月で、前籍校が進学校だった為、
必要単位がほとんど取れていました。
なので、高校3年の6月に通信制高校に転校してから8回学校に来たら卒業できるよ、との事でした。
試験も教科書まるまる出ますし、勉強ではなく、
高校卒業という体裁の為の学校という感じがしました。
見方を変えると、自分で考えて行動する時間が一気に増えますので、自分のやりたい勉強、活動に集中できました。」
−学校生活の傍らでされた活動はどのようなものがありましたか?−
「昼間は飲食店等でアルバイトをし、夕方は画塾(芸大へ行く為)へ通い、
夜は趣味のスケートボード等をして、土日はクラブへ行ったりしてめいいっぱい遊んでいました。」
(何事もやるなら本気と語る中村さん)
−その時の生活を支えたくれた人の存在や、そういったものはありましたか?−
「同じ中学出身で同じ高校に進学した友達が、
私が通信制に転校する数ヶ月前に、退学になり、同じ通信制に転校していました。
その友達と話していた事は、俺らは、こうなった以上親が一番心配しているだろうから、
人一倍勉強して、
志望校には確実に進学しないと、喋っていました。
私とその友達は現役で、大学に進学したので、結果的には通信制で良かったです。
恐らく、自分で考えて自分で行動する必要が多く、
やらされる日々をおくって物事を深く考えない生活から脱出して自立性が伸びていたのが
受験勉強にも繋がったのかなって思っています。」
(人との出会いが仕事に繋がり、自分の成長にも繋がると話されていた中村さん)
−通信制高校に通ったらこそ、得る事のできたものはどのようなありましたか?−
「毎朝決められた格好で決められた場所に決められた時間に通い、
決められた事をこなし、決められた時間に帰る。
これは社会に出ると大変重要な事にもなりますが、時に、自分で考えて自分で行動する。
働く時は、働く、勉強する時は勉強、遊ぶ時は遊ぶ。
といったように自分で決めた時間の使い方を
自分がしたいようにこなせたので、毎日生き生きとしていました。
周りと違った選択肢をしたとしても、建設的に何かに取り組めば、
人には負けない何かを身につける事ができる大事な時間となると思います。」